インド紀行(No.17)

インド紀行を書いていながら、こんなことを書くのはどうかと思うが、・・・
ここで敢えて書いてみようと思う。
それは、たぬきが余りにも釈尊のことについて勉強不足だったか・・ということだ。
確かに、釈尊の仏跡を訪ねては見たものの、それはたぬきの聞きかじったことや少しだけ歴史を学んだことの知識しか無い中でのインド訪問だった。
そんなたぬきの「インド紀行」。
そう思いながら見ていただければと思う。

さて、「竹林精舎」を9:10に出発。
「七重の牢獄跡」には、5分ほどで到着。
この牢獄跡については、前回書いたとおりだ。

そして、ブダガヤに向けて進む。

途中、王舎城の南門跡でバスは停車。
復元された南門跡を下車して写真撮影した。

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南門跡の河原では、選択している女性たちや水遊びをしている子供たちがいた。

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ブダガヤから王舎城に向かうと、それまでの広い農地と違って小高い岩山が車窓に広がると王舎城に到着します。
二つの岩山が稜線をあわせた間が小さな峠になっています。
稜線にはマガダ国の南側の城壁の基礎が再現されており、当時の様子を窺い知ることができます。
また、峠にはヒンズー教のカーリー女神を祀る祠があり、道中の安全を願って賽銭を投げ入れる運転手の姿をご覧いただくこともございます。
また、南城壁を北に向かって500m程のところに轍の跡が残っています。
岩盤の上を重い荷物を惹いて南門に行き来していたのか、荷車の轍が深く刻まれていて、当時の営みの一端を知るような遺跡です。
また、轍の跡を辿って南側の路面には4世紀から5世紀にかけて掘られた文字が残っています。 
残念ながら解読はされておらず、将来を待たなくてはなりません。
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前記の説明文は、ブダガヤから王舎城に向かってのことが書かれている。
たぬきたちは、この反対のルートを進んでいた。

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これが、「ヒンズー教のカーリー女神」。

つづきは、また次回・・・





インド紀行(No.16)

ホテル出発は、8:30
前日時間が押して行けなかった「竹林精舎」へ向かう。

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竹林精舎は、ホテルから10分ほどのところにある。
ここが、竹林精舎の入口だ。

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竹林精舎(ちくりんしょうじゃ、サンスクリット語:Venuvana-vihāra)は、仏教で建てられた最初の寺院である。
迦蘭陀竹林ともいう。

中インドのマガダ国の首都である王舎城(ラージャガハ)(現在のビハール州ラージギル)にあった。
迦蘭陀(カランダ)長者が所有していた竹園で、当初は尼犍子(ジャイナ教)に与えていたが、長者が仏に帰依したことでこれを仏教の僧園として奉じ、頻婆娑羅(ビンビサーラ)王が伽藍を建立したといわれる。
天竺五精舎(天竺五山とも)の一つ。
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竹林精舎の詳細は、以下のブログを・・・

          アショカツアーズ

釈尊の仏跡を巡る中で、たぬきの知識の浅さ(勉強不足)をつくづく感じる。
折角インドへ行ったのだから、しっかり勉強しておくべきだったと思ったのだが、その時は既に遅かったようだ。

たぬきは今、予習ができていなかった分、今になって復習をしている。



住職ノート
9月後半の法語です。

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インド紀行(No.15)

前回は、「霊鷲山」からいきなり「七重の牢獄」に飛んでしまった。
それは、皆さんに「王舎城の物語」について予め知っておいてほしかったからだ。
そうしないと話が前に進まないと思ったからだった。

霊鷲山からホテルに向かう。
途中、「ジーヴァカのマンゴー樹林跡(病院跡)」や

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「温泉精舎」を車窓から見る。
聞くところによるとインドでは、温泉があるのは珍しいようだ。

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王舎城の北城壁の北西側の岩山の麓に温泉が湧き出しており、ヒンズー教の寺院があり、温泉が整備されています。
温泉は4カ所あり、元来はカーストにより入浴できる温泉が決まっていました。
最上には男性用と女性用の温泉があり、40℃弱の温泉が湧き出しています。
日中には近郷の人々が湯浴みに訪れ、ヒンズー教の祭の時などは特に賑わっています。
ヒンズー教寺院の境内地であることから、見学の際には真摯な態度が必要で、必ずガイドを伴って見学されることをお薦めします。


すっかり夜が明け、ホテルに帰ったのは、7:00だった。
明るくなってからホテル内を見ると・・・

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なんともしゃれた佇まいだ。

朝食は、日本食。

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たぬきは、味噌汁とお粥を食べる。
日本食ということで、なんとなく心も落ち着くようだ。
インドのカレー味もいいのだが、たぬきはやっぱり日本食がいい!




インド紀行(No.14)

これからブログを書き進めていくためには、どうしても書いておかなければならないことがある。
それは、「観無量寿経」にもある王舎城についてだ。

『観無量寿経』(かんむりょうじゅきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。
別名『観無量寿仏経』、『無量寿仏観経』、『無量寿観経』ともいい、『観経』と略称される。

阿闍世という名の太子が、悪友の提婆達多にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を幽閉し餓死させようとした「王舎城の悲劇」を導入部として、王の后である韋提希夫人の願いにより釈迦が、極楽世界や阿弥陀仏、観音・勢至の二菩薩を観想する13の観法を説く。
そして、極楽世界に往生する者を「上品上生」から「下品下生」まで九品に分類し、最後に釈迦が阿難に向って「無量寿仏の名号を、常に心にとどめ続けよ」と説く。
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今から2500年以上前の釈尊の時代、インドで一番の勢力を誇っていたのがマガタ国。
その首都が、王舎城だった。
そこで起こったのが、「王舎城の悲劇」といわれる父「頻婆娑羅(ビンビサーラ)王」を幽閉して、最後には餓死させた息子「阿闍世(アジャセ)太子」と王の妃「韋提希夫人(イダイケプニン)」の物語だが、これらの詳細については、ここでは書かない。。
インターネットでは、この話の詳細が色々と書かれているので、そちらを参考にして欲しい。

そして、たぬきたちが訪れたのは、頻婆娑羅(ビンビサーラ)王が幽閉されていた「七重の牢獄跡」。

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ここから、遠くに霊鷲山が見える。

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また、七重の牢獄の外壁から内側に二重目、三重目の壁の跡と思われる遺構も確認できる。

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王舎城内の南東部にある広大な広場の様な遺跡が七重の牢獄跡の遺跡です。
お釈迦様のいとこにあたるダイバダッタ(ダイバ)より出生の秘密を明かされたマガダ国の王子「アジャセ」は、その恨みから父を亡き者にして王位を継承しようとビンビサーラ王を幽閉しました。
善政をひいたビンビサーラ王は臣民の信頼も篤く、ビンビサーラ王を幽閉するために七つの壁で囲まれた牢獄を造り、そこに幽閉したとされています。
現在の遺跡は外郭の牢獄の壁の基礎が四角く整備され、南側の一角に二番目と三番目の壁の一部の基礎部分が露出しています。
ちなみに、東約2kmにある霊鷲山を望むことができます。
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釈尊の説かれた経典の中の一節が、このように実在していることに驚嘆した、たぬきじゃった。



住職ノート
朝夕めっきり涼しくなってきました。
早速、新米を一俵ずつ、2軒の方がお供えくださいました。
自分のところが食する前に、お仏飯としてご持参くださる姿に、有難い思いを感じさせていただきました。
自分、自分の主張が強い今日、こんなに尊い姿勢がこの地方には、残っているのです。
大切にしたいものです。

明日(16日)は常例法座。
テーマはカレンダーの(願力無窮に ましませば 罪業深重も おもからず)を味わってみたいと思います。
仏さまの願とは何だったでしょう。
誰に向けられた願いだったでしょう。
秋の彼岸を通してわが身に充ててみたいものです。

今月の標語は
 「泣いて泣いて生まれ 泣いて泣いて別れ 涙でつなぐ『いのち』のバトン 『いのち』刻み 有難う」
としました。
ある歌手の歌の文句の中にありました。
いま私たちは、そのバトンをどのように持って、走っているのでしょう。
お仏壇の前に座して、振り返ってみたいものです。

      



伝灯奉告法要御満座のご消息披露と総局巡回

今日は、インド紀行はお休みして・・・

9月11日(月)午後1時から本願寺山陰経堂で開催された「伝灯奉告法要御満座のご消息披露と総局巡回」について、少しだけ記しておこう。

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第1部 ご消息披露式典
 〇 勤行{重誓偈」
 〇 ご消息披露

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 〇 ご消息伝達
 〇 趣旨演達
 〇 特命布教(特命布教使 苅谷師)

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第2部 2017(平成29)年度山陰教区公聴会
 〇 一行紹介
 〇 総局挨拶
 〇 学び
   「念仏者の生き方」に学ぶ
 〇 報告
   ① 伝灯奉告法要について
   ② 「平和に関する論点整理」をテーマとした公聴会の意見集約について
 〇 協議
    協議の前に次の3点について説明があった。
   ① 特別会計災害対策金庫の新たな原資の確保について
   ② 御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)
     総合基本計画・重点プロジェクト改定について
   ③ 10年、20年後の日本社会で求められる僧侶像・寺院像について

   協議の意見聴取は、西宗寺の住職が議長として、意見集約を行った。

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 〇 総局まとめ
 〇 「恩徳讃」の斉唱

山陰教区からは、役職のある僧侶の皆さんや寺族婦人会会長さんなどが、門信徒では教区会議員の方たち総勢44名(役に立たないたぬきを含む)が参加されていた。

以上、報告まで。



インド紀行(No.13)

霊鷲山から下を見下ろすと、そこが「王舎城」があったところだ。

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今では、すっかりジャングルに覆われており、往時の姿を見ることは出来ない。
しかし、インド政府は将来の発掘を見据えて、この地域の開発を禁止している。

王舎城ラジギールはガンジス平原の中にあって、この地域には珍しく岩山に囲まれたところにあり、紀元前6世紀頃から栄えたマガダ国が都をおいたところです。 
岩山に囲まれ自然の要塞として大変に栄え、以来中世にイスラム教がインドに侵入するまで、歴史の主要な舞台でした。
現在は街と云うより村に近いのですが、お釈迦様と仏教教団が最初に拠点としたところとして、また、ジャイナ教の始祖マハビーラが修行をした場所として聖地になっています。
旧都を囲む岩山の頂上にはジャイナ教の寺院が建立され、霊鷲山や日本山妙法寺平和記念仏塔などがあることから、偉大な(ラージ)、丘(ギリ)がこの地の名の由来になっています。
仏教においては、お釈迦様が法華経をはじめ大無量寿経、観無量寿経を説かれた大切な聖地です。


王舎城(ラージャグリハ、ラージャガハー)
マガダ国の首都でラージャ(王)の住むところ(グリハ)から王舎城と名付けられました。
お釈迦様の時代には大変栄えていましたが、インド政府が将来のためにと開発を禁止しており、2500年が経った現在は深い草木に覆われたジャングルが残っているにすぎません。
それでも、ビンビサーラ(ビンバシャラ)王が王子のアジャセに幽閉されたた七重の牢獄跡や金庫として利用されたといわれる遺跡、などが比定されており、将来の発掘が待たれます。
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観無量寿経でも説かれているビンビサーラ王とその王子アジャセにまつわる話は、今度したいと思う。
世にいう「王舎城の悲劇」である。

王舎城(おうしゃじょう、梵: राजगृह, Rājagṛha, ラージャグリハ、巴: Rājagaha, ラージャガハ〉は、古代インドのマガダ国の首都。
ガンジス川中流域に位置する。羅閲祇とも。

釈迦が説法した地の一つで、外輪山に囲まれた盆地の中にある都市遺跡だが、考古学的にはあまり解明は進んでいない。
北インドでは珍しく温泉が湧き出る。
現在はラージギル(ビハール州)という名で呼ばれている。

南伝仏典によれば、かつてマンダァータ、マハーゴーヴィンダなどの大王(ラージャは王と訳す)に支配されたので名づくという。[要出典]

なお、『大智度論』3では、名称の由来について3つの説を挙げている。
 1.昔、マガダ国王の子に一頭両面四臂あり、王がこれを不吉祥となして、その首身を裂いて広野に棄てた。梨羅という羅刹女が、その身を合わせて乳養し、成人してのちに諸国の王萬1千人を捕らえて、これらの王を5山(後述参照)に置いたことに由来。
 2.マガダ国王がその城の失火により7度に及んで、城を移して5山の中にこの王舎城を築いたことに由来。
 3.婆薮仙人の子である廣車王が、空中より声が聞こえて、鹿を追ってこの5山の中に入り、ここに王城を築いたことに由来。

仏教が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。
南方の仏典では、仏が出世した時と転輪聖王が出世した時のみ城下となり、その他はすべて空虚となり、夜叉に支配されてその住居になったと伝える。

現在、ビハール州の首府であるパトナから約96kmに位置する場所にあり、ラジギール(ラージギール、ラージギルとも)と呼ばれる。
仏教が布教された町として有名で、多くの仏典に登場する。
ギッジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(負重山)、イシギリ(仙人掘山)、ヴェープッラ(廣普山)、パンダヴァ(白善山)という5つの山に囲まれている。

釈迦の在世当時は、マガダ国最大の都として栄えた。
釈迦が最も長く滞在した地で知られ、『法華経』を説く舞台である霊鷲山(りょうじゅせん)や竹林精舎、釈迦滅後に仏典の結集を行った七葉窟などがある。

当初の都はギリヴラジャ(旧王舎城)であったが、宮殿が炎上したため、ビンビサーラ(頻婆娑羅)王が現在の位置にラージャグリハ(新王舎城)に遷都した。
玄奘は『大唐西域記』で、失火により一時寒林にいたが、ヴァイシャーリー市が来襲すると聞き築城したと伝えている。

異説では移転させたのはビンビサーラの息子であるアジャータシャトル(阿闍世)王ともいわれる。
旧都を旧城(山城)、新都を新城と呼び区別する。
法顕は、この地を訪れたことを『法顕伝』で報告し、サーリプッタの出身であるナーラダ村から西へ1由旬のところに新しい王舎城があり、ビンビサーラ王の古城とは別に、アジャータシャトル王が新城を築城したと伝えている。

釈迦がこの都市でマガダ国王ビンビサーラと高弟シャーリプトラ(舎利弗)、マウドガリヤーヤナ(目犍連)の有力な帰依者を得たことが、教団発展の助力となった。

大乗仏教においても、般若経典はじめ『法華経』『無量寿経』など多くがこの都市近郊にあった霊鷲山や竹林精舎を説法の舞台としている。
同様に説法の舞台となることの多い祇園精舎のあった舎衛城と並んで、仏教にとっては重要な八大聖地。

外輪山の中に「七葉窟」といわれる洞窟があり、ここで釈迦入滅後に弟子達が集まり、伝えられた教えを確認し合う第一回結集が行われたと伝える。
仏典編纂の原点ともなった地。
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霊鷲山から下山。
駐車場の周囲は、こんな状況だ。
たぬきたちが訪れた時は、雨季ということもあり、他国の仏教徒の人たちにも出会うことがなかった。
乾季には多くの人々が訪れ、霊鷲山の頂上でもお勤めの順番待ちになるようだ。

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インドでは野良犬を多く見かけるが、猫の姿はない。

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つづきは、また次回・・・



インド紀行(No.12)

次の日は、早起きして霊鷲山に向かうことになった。
なんと、ホテル出発は4:45.
まだ、あたりは真っ暗。
霊鷲山の麓の駐車場には、5:00に到着する。

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山頂に向かう途中で、すっかり夜が明けてくる。

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ここは、以前の参道跡のようだ。
地震があって崩れ今は通行できない。

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ここは、阿難尊者が籠っていたといわれる場所のようだ。

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この先の階段を昇って行くと頂上に出る。

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先ほど説明した通行止めの旧参道を登って来るとここに出てくる。

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次は、山頂の様子。

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王舎城の東の城外にあるのが霊鷲山です。
霊鷲山はお釈迦様が滞在され、説法をされた聖地で、この地の岩が鷲の形をしていることから霊鷲山と名付けられました。
また、別説では、この地が鳥葬をした場所であり、鷲によって魂が天に運ばれることから霊鷲山との説もあります。
山頂は100人程が座れる程度の広さがあり、西側に四畳ほどの講堂跡があり、お釈迦様はここで法華経や観無量寿経をはじめとして、沢山の法を説かれました。
山頂を少し下ったところには阿難尊者や舎利佛尊者、目連尊者などが過ごされたといわれる岩穴なども残っており、朝日や夕日に訪ねると、何ともいえない感動を覚えます。
また、霊鷲山から東に位置する山を望むと、紀元前三世紀に建立されたとされるアショーカ王建立の仏塔跡がご覧いただけます。(参拝は霊鷲山、または多宝山より約1時間をかけて山道を歩きます。 一部未整備のところがあります。)

霊鷲山へはバス停から約1km(高低差150m)の参道を登ります。 
尚、ご不安な方には別途有料で駕籠を利用することができます。

ちなみに、霊鷲山は明治に活躍された大谷探検隊により発見、比定されました。
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これが、鷲の形をした岩。

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旭日を背景に・・・

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山頂では、誰も履き物を脱ぎ。「重誓偈」のお勤め。

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釈尊の仏跡を訪ねて本当によかったと感じた一時でもあった。

つづきは、また次回・・・




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