北海道(No.11)

次に訪れたのは、ひがしもこと芝桜公園。
10haもの山の斜面に、ピンク色の絨毯を敷き詰めたような絶景。
これが、全て芝桜だ。

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たぬきが訪れたのは、5月下旬だった。
幸運にも写真のように、ちょうど見ごろの時期だ。
この公園の歴史については、次のホームページに詳細が書かれている。     

          北海道大空町 東藻琴芝桜公園

上の文字をクリックしてほしい。

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芝桜をアップで撮影すると、こんな感じだ。
一つひとつの花びらが集まると、このような素晴らしい景色になる。

昔、苦労して1株、1株植栽された方のご苦労を偲ぶとき、後世に伝えられたこの素晴らしい景色を末永く伝えていってほしいものだと感じた。

そして、この絶景に感動しながら、時間を忘れて散策した、たぬきじゃった。       





北海道(No.10)

昼食の後、網走本線にある「北浜駅」へ行く。
オホーツク海の見えるレトロな駅として、観光客も多く訪れる。
この日も観光バスが入れ替わり、立ち代り、未舗装の駅の敷地内に入ってくる。

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たぬきのいる山陰地方の海岸部や山間部にも、こんなうらぶれた駅はある。
しかし、山陰では観光地にはなっていない。
何故だろう?

北浜駅(きたはまえき)は、北海道網走市北浜にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。
駅番号はB76。電報略号はキマ。

北浜地区のもっとも網走市街寄りに位置し、集落からはやや外れている。

1965年(昭和40年)4月に封切りとなった映画「網走番外地」第一作で「網走駅」として囚人を駅から護送するシーンのロケ地として用いられたことで知られている。

1980年(昭和55年)に19代駅長・木村茂が待合室にらくがき帳を設置したのを皮切りに、「オホーツク海に一番近い駅・海岸まで20メートル」の看板の設置や入場券を買った旅行客に威嚇前浜で拾った貝殻に「通行証」とペンキで描いた記念品を手渡すなどの独自のサービスを行うようになってから観光客が増え始めた。
このサービスは無人駅となった後も、旧駅長室で軽食喫茶店「停車場」を営む藤江良一の手で切符を売る駅業務の代行と共に続けられている。

ロケ地としては、駅舎はドラマ『みにくいアヒルの子』や、中国映画『狙った恋の落とし方』など、多くの映画やテレビドラマなどの撮影で利用されている。

近年では後者の映画の影響のほか中国国内における北海道ブームもあり、来駅する中国人観光客が増加している。

駅舎内には、かつての駅事務室を改装した喫茶店「停車場」が営業し、店内からオホーツク海を眺めることができる。
待合室の壁面は、旅行者が訪問の足跡として貼った名刺や切符などで埋め尽くされている。
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なるほど、ここでも最初は網走刑務所と関係のある映画の影響か?と思った。
しかし、映画のブームが去っても、多くの人が訪れる。
古き時代の懐かしさを感じる。
それが、地域起こしになれば、それに越したことはないだろう。



住職ノート
連日いい天気が続いています。
農家の皆さんは、水が不足しているようです。

会議があったり、広島に出かけたりとバタバタして、ノートが遅くなりました。

先日、西宗寺の役員会で墓苑の紹介をもっとすべき、との意見があり、山陰中央新報の「お知らせコーナー」に掲載することになりました。
また、外のトイレが古くなってきたので、平成31年度の松江組仏教婦人大会までに、改修しようとの有難い意見をいただきました。
派手ではなく少しずつ、次世代にかなう寺院の姿になってほしいものです。

今月後半の標語は、既にたぬきさんが載せてくださったように
 「立場が 変われば 評価も 変わる 
合掌して出会ってみませんか」

としました。

雨・・うっとしいと思う人、自然の恵みと思う人。
Aさん・・嫌な人と思う人、良い人と思う人。
悲しみはショックが浅い、深い。
遠い、近いで変わる。
立場が変わると、評価も変わる。

選りどりなしに救い取られて行く私があります。
何にもかにも、合掌して出会ってみませんか。
そんな姿勢が豊かな人生を歩むことになりませんかね。



北海道(No.9)

「網走刑務所」を後にした、たぬきは、オホーツク海沿いに南に向かう。

途中、道路沿いに網走刑務所の正門と同じような造りのお寺があった。

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お寺の名前は、「真宗大谷派 永專寺」。

永専寺(えいせんじ)は、北海道網走市にある仏教寺院。
網走市街地の国道244号沿いに建つ。
長らく網走監獄の教誨師を務めた僧侶寺永法専が住職であった寺で、その縁から1924年(大正13年)に旧網走監獄正門が当山の門として払い下げられた。
現在は旧網走監獄正門のある寺として広く知られる。
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思わず、なるほどと納得した、たぬきじゃった。

そして、時間は、丁度昼食時間。
「網走海鮮市場」で昼食を摂る。

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昼食は、「海鮮丼」をゆっくりと堪能した。

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昼食を食べた後、海岸沿いに外に出て見る。

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目の前に、たぬきが生まれて初めて見るオホーツク海が広がる。        
海を見ながら、目には見えないロシアとの国境や北方領土のことが、たぬきの頭の中を巡る。
日本には、まだまだ解決しなければならない国際問題が山積しているようだ。



住職ノート
6月後半の法語です。

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北海道(No.8)

昨日(6月13日)の報道によると、北海道では6月としては珍しい、最低気温が氷点下だったようだ。
因みに、阿寒湖畔で-1.1℃だったとか・・・
たぬきが北海道に行ったのは、5月下旬だったが、札幌は23℃くらいで汗ばむような陽気だった。

山陰では、先週梅雨入りしたのだが、毎日爽やかに晴れた日が続いている。
いい天気が続くのはいいのだが、また、今年も異常気象なのだろうかと心配しているたぬきじゃ。



それでは、北海道の続きを書くとしよう。
「博物館 網走監獄」を出発した、たぬきは、本物の?「網走刑務所」向かう。
網走刑務所まで、車で5分程度か?

網走川を隔てて、北側の川沿いに煉瓦塀に囲まれた「網走刑務所」が建っている。

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刑務所の周りは、綺麗に整備してあり、タンポポやチューリップが咲いている。

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刑務所の正門は、「博物館 網走監獄」の入口と同じ様式。
博物館の方が、レプリカだった。

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網走刑務所は、今や観光名所になっているようで、観光バスが次々とやって来ている。

網走刑務所(あばしりけいむしょ)は、法務省矯正局札幌矯正管区に属する刑務所。
犯罪傾向の進んだ者(再犯者・暴力団構成員)、執行刑期10年以下の受刑者の短期処遇を目的とする刑事施設。
日本最北端の刑務所。

耕種農業、畜産農業、林業を営む農園刑務所。
自給用を中心に馬鈴薯、南瓜、野菜類、金時豆、小豆、永年牧草、肉牛を生産している。
木工作業は小物民芸品の製作を中心とし、ニポポは年間約4,000本を生産している。
窯業作業は、オリジナル製品(三眺焼)として食器、花瓶などの小物製品を中心に生産している。

明治維新後の日本は、内乱による国事犯や政治犯が続出したため、監獄は過剰拘禁となっていた。
同時に、「富国強兵」を掲げて西洋列強と肩を並べるためやロシア帝国による脅威を防ぐためには蝦夷地(北海道)の開拓が重要であった。

そこで、1881年(明治14年)に「監獄則」改正を行って徒刑、流刑、懲役刑12年以上の者を拘禁する集治監を北海道に設置し、囚人を労働力として使役させて北海道の防衛と開拓を進める政策を執った。
また、刑を終えた後は北海道に住み着いてくれれば良いという考えもあった。

1890年(明治23年)、中央道路の開削工事を行うため、釧路集治監から網走に囚徒を大移動させて開設。
発足時の囚人数は1,392人でその3割以上が無期懲役であり、ほかの囚人も刑期12年以上の重罪人であった。
中央道路工事は、1891年(明治24年)のわずか1年間で、網走から北見峠まで約160kmが開通しており、過酷な労働条件による怪我や栄養失調が続出し、死者は200人以上となった。

1894年(明治27年)に、囚人使役は「囚人は果たして二重の刑罰を科されるべきか」と国会で追及されるまでの社会問題となり廃止されたが、民間人や外国人などによる「タコ部屋労働」は大正、昭和になっても続いた。

網走の発展は、刑務所設置に大きく関わっているが、以前は地元にとって刑務所は決して好ましいイメージではなく、戦時中には刑務所名変更の請願を網走町(当時)が提出している。
これは、衆議院を通過したものの貴族院では不採択となり、網走刑務所の名は存続することになった。

戦後、高度経済成長期になると、高倉健主演の映画『網走番外地』シリーズの人気により、網走刑務所は全国区の観光名所となった。
1983年(昭和58年)には、網走刑務所の全面改築工事に伴い、旧刑務所の教誨堂、獄舎などを移築復原した博物館網走監獄が天都山中腹に開館。
刑務所は網走市の観光にも大きく貢献している。
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しかし、たぬきの私見としては、刑務所の収容者はもとより、刑務所のすぐ側には職員の官舎もあり、刑務所職員の家族も含めて、観光客の来訪は迷惑なのかもしれない?と、そんなことを思った、たぬきじゃった。


北海道(No.7)

博物館「網走監獄」で足踏みをしているたぬきだが・・・
たぬきの気持ちとすれば、ここだけは知っておいてほしいと思う。

次は、「浴場」

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受刑者たちの人形が、入浴している状態を表現してある。
リアル感あふれるところだ。

身体を洗うのが3分。
浴槽に浸かるのが3分。
身体を拭いて、着替えをするのが3分。
そんな状態の入浴時間だが、毎日入浴できるわけでも無く、受刑者たちは楽しみにしていたようだ。

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全身刺青の男がいる。
ヤクザ者と一見して分かる。
看板表示にもあるように、刺青のことを「くりからもんもん」と言っていた。

「くりからもんもん」を調べて見ると・・・
 〇.博徒などがその背に倶利迦羅不動明王の像を文身したるもの。
   転じて一般にいれずみしたるものをいふに至れり。
 〇.往時博徒等が倶利伽羅不動明王の像を刺青せしよりかく云ふ。
 〇.不動明王の刺青のこと、転じて広く刺青を総称する。


今では、「もんもん」ということもあるが、刺青は「タトゥー」ともいい、若い人たちのファッション?にもなっているようだ。
たぬきは、どんなことがあろうと親からもらった大事な体に刺青(タトゥー)だけは入れてほしくないと思う。

次は、「独居房」

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独居房は、刑務所内で問題を起こし、懲罰のために入れられるところだが、ここは二重扉になっており、扉を閉めたら昼間でも真っ暗になるという。

最後は、「教誨堂」

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梅の木に邪魔されて、少し見えにくい。
これは、たぬきが撮影しようとしたのが、「梅の木」だったからだ。
北海道では、というより、この地方では梅の開花は桜の後ということだ。
だから、たぬきが訪れた時には、既に桜は散って、梅が咲いていた。

さて、教誨堂だが・・・
終戦までこの教会堂には、浄土真宗のご本尊である「阿弥陀如来様」が安置してあった。
終戦後、信教の自由ごいうこともあり、阿弥陀様は撤去されたとのことだった。
こういった話は、各地の刑務所にもある話で、昔は教誨師の方たちの多くが、浄土真宗本願寺派の僧侶の人たちだったようだ。        
        

北海道(No.6)

資料館の外に出て行くと広い畑があり、そこには受刑者の作業風景が再現されている。

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また、見張り台も当時のままに再現されている。

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次に、房舎へ行く。
房舎とは、受刑者たちを収容するところで、ここで日々の暮らしをしている。

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明治時代の木造獄舎を移築・保存した国指定の重要文化財で、昭和59年まで実際に使われていたというから驚きだ。

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この房舎は、放射状の5棟の獄舎からなっており、これらが放射状になっていることから中央の監視室からは、写真のようにすべての獄舎が一望できるという優れものだ。
ここは、国指定の重要文化財にもなっており、ベルギーのルーヴァン監獄を模しているといわれている。

監房の中の個室は、現在の刑務所のものとは大違いで、粗末なものだ。

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また、ここには、網走刑務所で唯一の脱獄犯「白鳥 由栄」の脱獄状況も再現されている。

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白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年7月31日 - 1979年2月24日)は、元受刑者。
今日では収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし「昭和の脱獄王」と呼ばれた異名で知られる。
脱獄の際に看守に怪我をさせたり、人質を取ったりするような強行突破をしたことは一度もなく、当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評された。
26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年にも及んだ。

青森県出身。
幼少期に豆腐屋の養子となるが、徐々に素行が悪化。
遂に1933年に仲間数人と強盗殺人を犯し、その2年後に自首し投獄される。
その際に収容された先の刑務所の待遇が劣悪だったことから抗議したところ、過酷な懲罰を受けたことが契機となり、その後、次々と脱獄と収監を繰り返す人生を歩むこととなった。

網走刑務所を脱獄した時には、放浪先で傷害致死事件を犯し、収監の期間はさらに延長される。
この網走の脱獄の際、特製の手錠と監視口に味噌汁を吹きかけ続け、味噌汁に含まれる塩分で鉄を錆びさせて脱獄した作戦は後年によく紹介されるエピソードである。

その後、終戦まで身を潜めるが、終戦後、畑泥棒と間違えられ農家に袋だたきにされ、逆に相手を殺害。
白鳥は正当防衛を主張するも札幌地裁から死刑判決が出たために脱獄を決意。
看守6人1組で厳重に監視される中、白鳥は脱獄に成功する。
最後に捕まった際は警官から当時貴重品だった煙草を与えられたことがきっかけとなり、あっさり自分が脱獄囚だと明かし自首。
移送された刑務所で不良囚として扱われ、およそ人間的な対応をされなかった白鳥は、煙草をくれるという親切な扱いをされたことで心が動いたと話している。
札幌高裁で審議が再開し、一部、白鳥の主張が認められ懲役20年となる。
また、府中刑務所では白鳥を一般の受刑者と同様に扱ったため、白鳥は模範囚として刑に服した。
1961年に仮釈放。出所後は建設作業員として就労。
1979年、心筋梗塞で世を去った。
享年72。
白鳥は無縁仏として供養されそうになるが、白鳥が仮出所した際に近所に住んでおり仲良くしていた当時子供だった女性が引き取り、埋葬された。

収監中、当時の看守達は白鳥の脱獄を阻止するため厳重に警備を重ね、あらゆる手立てを行ったがいずれも振り切られた。
このことから、脱獄者を出すと職務怠慢で懲戒処分になる当時の看守の間では「脱獄するなら、自分が当直以外のときであって欲しい」と評されたエピソードがある。
          Byウィキペディア  


なんとも、ドラマか映画のような話だが、仏教でいう「機縁」を感じざるを得ない。
どこかで、人生の歯車が狂えば、機と縁があえば、だれでも道を踏み外すことがある。
まさに、人生どうなるか分からないということだろう。
そんなことを思いながら施設見学をした、たぬきだった。


北海道(No.5)

網走監獄は、明治23年に開設された。
その旧施設を移築するなどして、博物館網走監獄がある。
かなり広い敷地の中に往時を思わせるような施設がある。
正門を入ると正面に庁舎があり、ここで保安管理などの執務が行われていた。

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当地では珍しい、総瓦葺の屋根、切妻造りの建物。
玄関入口の上には、現在、警察のシンボルマークとなっている「旭日章」がある。

この庁舎を出て、敷地に沿って左に進むと、刑務所職員が暮らしていた「官舎」がある。

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この官舎は、昭和50年代まで使用されていたらしい。
さらに、その先に進むと「休泊所」がある。
この建物の中には、看守や受刑者のリアルな人形がある。

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このような建物は、第2次世界大戦末期、鹿児島県の鹿屋基地から特攻隊員が出撃する直前に宿泊した場所に似ている。
受刑者たちは、長い丸太を枕にして寝ている。
この丸太には意味があり、看守が受刑者を起床させるために、丸太の端を強くたたいて起こすということだった。
同じ場所には、受刑者が食事をする様子が再現されている。

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立ったままで、日の丸弁当(ご飯の上に梅干し1つが乗っている)に漬物だけの食事をしている。

次に、監獄歴史館に入る。
ここでは、網走刑務所の歴史や昔の囚人の護送風景が再現されている。

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そして、現在の刑務所の雑居房の様子も見ることができる。

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近代的な施設で、後に紹介する以前の房舎とは、大きな差がある。
古き時代の犯罪を犯した者の過酷な受刑生活が分かる。


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