香港・マカオ(その5)

ブログを書くのも久しぶり。
読者の皆さんには、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
仕事が忙しかったことやたぬきの体調不良に加えて、親族の入院など・・・が、あった。

さて、香港を高速船で出発して約1時間でマカオに到着。

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簡単な入国審査を受けて、バスに乗る。
気温は、30℃を越えており、久しぶりに真夏の暑さを感じる。

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街中の景色は、こんな感じだ。
途中、お巡りさんが横断歩道で交通整理をしている姿を目にする。
海外では、歩行者より車の方が優先ということだが、このような姿を見ると安心するのは、たぬきだけだろうか?
特に、中国本土では、信号が青で横断歩道を歩いていても車は平気で突っ込んでくる。
随分違うものだと思った。

最初にたぬきたちが訪れたのは、「聖ポール天主堂跡」。

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聖ポール天主堂跡(サン・パウロ天主堂跡、中国語: 聖保祿大教堂遺址、ポルトガル語: Ruínas da Antiga Catedral de São Paulo)は、イエスの使徒である聖パウロに捧げられた、マカオにあるポルトガルの17世紀の大聖堂の遺跡であり、マカオの最も有名な歴史的建築物の一つである。
大三巴牌坊、または単に大三巴、牌坊として広く知られている。

2005年、聖パウロ天主堂跡は、公式にユネスコの世界遺産「マカオ歴史地区」の一部として登録された。

1582年から1602年にイエズス会士によって建築されたこの天主堂は、当時のアジアでは最大のカトリック教会であった。
また当時のカトリックは宗教改革によって欧州の外に目を向けていたため、イエズス会によってアジアにその先鞭をつけたこの天主堂に、ヨーロッパの王族は互いに競って寄進を行った。
しかし珠江デルタの主要港の地位が香港に取って代わられ、マカオの重要性が低下すると、この天主堂の運命もマカオやポルトガルと同じく傾き、1835年の台風時の火事によって焼失した。
モンテの砦(大砲台)が、この遺跡を見下ろしている。

この遺跡は、今、南側の石造りのファサード(イタリア人のイエズス会士カルロ・スピノラのもとで、本国から追放された日本人キリスト教徒と現地の職人によって、1620年から1627年の間に複雑に彫刻された。)と、この天主堂を創設し維持したイエズス会士の地下納骨堂からなっている。
ファサードは小さな丘の上にあり、そこへ66段の石段が続いている。
ファサードの彫刻は七つ頭のヒドラを踏みつける女性が、漢字で「龍の頭を踏みつける聖母」と描写されているように、東洋的な主題についてのイエズス会のイメージを含んでいる。
他の彫刻としては、イエズス会の設立者たち、イエスによる死神退治、そして最上段には羽を広げた鳩などがある。

危うく傾いている構造物が破壊されるという声に抗して、マカオ文化局のもとで歴史的経過を研究するために、1990年から1995年にかけて遺跡が発掘された。地下納骨堂と基礎が掘り出され、建物の建築計画が明らかになった。
日本人キリスト教徒の殉教者や、イエズス会の神学校コレジオのマカオでの設立者アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父を含む修道僧の遺骨とともに、数多くの宗教遺物も一緒に発見された。
これらの遺跡は、マカオ政府によって復元され博物館となり、そしてファサードは、今、ファサードの美しいもとのままの状態を残すような方法で、コンクリートと鋼鉄で支えられている。
鋼鉄製の階段で、旅行者は、背面からファサードの上段まで登ることができる。
幸運のために、階段から遺跡の上段の窓に硬貨を投げることが習慣となっている。
          Byウィキペディア     
      

現地のガイドさんの話によると、日本のキリスト教殉教者というのは、「島原の乱」で敗れ敗走したキリスト教徒だったとのことだった。
キリスト教だけでなく、日本では宗教弾圧が行われた過去がある。
そんなことを思い起こしながら、一時を過ごしたたぬきじゃった。


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