お寺の親睦の旅(その7~最終回)

伊賀上野でちびっこ忍者に出会い、名阪上野ドライブインで松坂牛?(だったかもしれない)お肉を賞味した一行は、一路奈良へ向かった。

奈良の平城宮跡。
広大な敷地に大極殿、朱雀門、平城宮跡資料館などがある。

下の写真は、大極殿。



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平城宮(へいぜいきゅう、へいじょうきゅう)は奈良の古都平城京の大内裏。
1998年(平成10年)12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界文化遺産に登録された(考古遺跡としては日本初)。

平城京の北端に置かれ、天皇の住まいである内裏即ち内廷と、儀式を行う朝堂院、役人が執務を行う官衙の所謂外朝から成り、約120ヘクタールを占めていた。
周囲は5メートル程度の大垣が張り巡らされ、朱雀門を始め豪族の姓氏に因んだ12の門が設置され、役人等はそれらの門より出入りした。
東端には東院庭園がおかれ、宴等が催された。
この東院庭園は今日の日本庭園の原型とされている。

ただし、平城京に都が置かれていた70年余りの間に何度か大規模な改築が実施されており、その間に平城宮内部の構造も変化している部分もあったが、そのことが後世の研究家に認識されることは少なく、実際に本格的な発掘が実施されるまで誤った推定が行われる遠因となった。

784年(延暦3年)に長岡京に遷都され、その後平城上皇が大極殿(第一次)跡地に新しい宮(平城西宮)を造営して居住したこともあったが、その後平安京が都としての地位が確定すると放置され、しだいに農地となっていった。
しかし南都と呼ばれ、あくまでも本来の都は奈良と云う認識が大宮人の間にはあった。

大極殿(だいごくでん)は、古代の朝廷の正殿。
宮城(大内裏)の朝堂院の北端中央にあり、殿内には高御座(たかみくら)が据えられ、即位の大礼や国家的儀式が行われた。
中国の道教では天皇大帝の居所をいう。
「大極殿」の名は、万物の根源、天空の中心を意味する「太極」に由来する。
すなわち、帝王が世界を支配する中心こそ「大極殿」の意である。
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平城京の南にあるのが、朱雀門。


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これらの建物の規模には、皆さん圧倒されたようだ。

そして、資料館前に展示されているのが、遣唐使船。



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こんな船で中国大陸までよく行ったものだと感心する。

遣唐使船に乗るのが嫌で、島流しになった当時の政府高官の話もあるようだが・・・
その気持ちも分かるような気がするたぬきじゃ。

壮大な平城宮跡の建造物や資料館を見学した一行は、親睦の旅の思い出を胸に帰路に着いた。










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