先憂後楽(その3)

前回書いた「世の人が憂うるのに先立って憂え、世の人が楽しんだ後に楽しむ」という名句によって、新文明の担い手たる士大夫は、世のリーダーとしての自覚と責任感に目覚めたのである。
朱子が「本朝では、ひとり范仲淹だけが、士大夫を奮い立たせた功績が大きい」と言っている。
この言葉は、それ以後の士大夫社会における士風の確立に大きな役割を果たしたが、それは中国だけでなく、我が国においても同様であった。

日本の昔の指導者もまた、この言葉によって士気を鼓舞され、指導者意識を呼び覚まされたのだ。

ところが、戦後は民主主義の普及などによって、この言葉の持つ旧時代的なエリート臭の強い響きが庶民感覚に合わなくなり、しだいに敬遠され余り用いられなくなった。
今日では有力政治家でも、自己や集団の利害のみに心を奪われ、先憂後楽の精神をもって、世界人類のために一身をなげうつ者は殆どいなくなったようだ。

しかし、それでは、もうこの言葉は何の役にも立たないのだろうか?
むしろ今こそこの言葉の意味が問われているのではないかと思う。

「天下」は、今では范仲淹の時代のような一王朝や一国家といったものではなく、世界や地球と置き換えるべきかもしれないが、その地球は今や人類であふれ、その果てしもない欲望の追求によって、環境汚染や温暖化などによって、人が住める環境ではなくなりつつある。

少しでも多くの人が「先憂後楽の精神」に目覚め、地球のために先んじて憂え、地球のために後れて楽しむ生き方をして欲しいと思う。



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