京都(その4)

朝の散策から帰った、たぬきは朝食をすませてから住職とともに市内へ。

清水寺から親鸞聖人のご影とご遺骨の納められている祖壇のある明著堂へ赴いた。


     P1060946_convert_20120907180904.jpg


     P1060947_convert_20120907180942.jpg


詳しい説明ができないので、説明の書いてある立札の内容をそのまま紹介しよう。

このお堂は「明著堂」と呼び、その正面奥に見える檜皮葺の八角形のお堂を「祖壇」といいます。
祖壇は宗祖親鸞聖人のご影並びにご遺骨が納められている場所で1660(万治3)年に本願寺第13代宗主良如上人によって、今日の場所に造られました。祖壇の左右には歴代宗主並びにお裏方の墓所があります。ここには親鸞聖人のご遺徳を慕い、聖人のお側にありたいとの願いから、全国の門信徒の方のご遺骨が納められ宗祖親鸞聖人の墓所を今に受け継ぐ本願寺発祥の墓として多くの方のお参りがあります。
また、明著堂は祖壇の前に位置する拝堂で、1709(宝永6)年、本願寺第14代宗主寂如上人の時代に建築されました。明著堂は、堂内に柱の無い東西5間、南北10間の建物で、正面には寂如上人のご染筆による「明著堂」の額がかかげられています。
先人にならいまずご廟に跪き、聖人のご生涯を偲びつつ、南無阿弥陀仏とお念仏をもうしましょう。

と・・・

そして、大谷本廟へ・・・


     P1060963_convert_20120907181402.jpg


     P1060961_convert_20120907181322.jpg


     P1060960_convert_20120907181246.jpg


     P1060959_convert_20120907181212.jpg


     P1060958_convert_20120907181134.jpg


大谷本廟(おおたにほんびょう)は、京都府京都市東山区にある浄土真宗本願寺派(西本願寺)の宗祖親鸞の墓所である。

大谷本廟は、「日野誕生院」・「角坊」(すみのぼう)とともに「宗教法人 本願寺」が所有する飛地境内建物である。

大谷本廟は、1272年(文永9年)に東山大谷の地に建立された親鸞の廟堂である「大谷廟堂」(のちの本願寺〈大谷本願寺〉)に由来する。

江戸幕府は、西本願寺第十二世の准如時代の1603年(慶長8年)に、知恩院の拡張造営に際して、大谷本願寺跡地の代替地として、宗祖親鸞が荼毘に付された「鳥辺野(とりべの)の南の辺、延仁寺」と伝わる「御荼毘所」に隣接する現在地を与えた。
          Byウィキペディア

とある。

時代を遡ると色々な歴史を垣間見ることがある。
その時代の中で生きてきた人たちがあってこそ、今の自分があるということを思う。
過去から綿々と繋がっているのが、現在のわしたちだということを今一度考えてみたい。

そして、750年の時を経て出会えた人がいたということも・・・









関連記事

テーマ : ブログ日記 - ジャンル : ブログ

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

QRコード作成
写真・画像のWEB加工