玄丹蕎麦

夕方、干拓の方を散歩していたら、真っ白い蕎麦の花が満開だった。

島根県の出雲地方は、「出雲蕎麦」が有名だ。
しっかりとしたコシがあり、歯ごたえも抜群。

特に、ここでは他の地方にはない「割子蕎麦」がある。
重ねた器に茹でた蕎麦が入れてあり、それに薬味と蕎麦のダシをかけて食べる。
器は、通常は3枚だが、追加もしてくれる。
今日もたぬきは、その蕎麦を食べたのだが、写真撮影を忘れてしまった。

ウィキペディアを調べてみた。

出雲そば(いずもそば)は、島根県の出雲地方で広く食べられる郷土料理の蕎麦(割子そば・釜揚げそば等)の産地名を使った総称で三大そばの一つ。

出雲地方では奥の院詣り(出雲大社、日御碕神社、美保神社、大山寺、一畑寺)の際に、門前のそば屋で蕎麦を食べるのが庶民の楽しみであった。
また「神在月(かみありづき)」に行われる「神在祭」(通称「お忌みさん」)の際、神社の周りに屋台のそば屋が立ち並び、身体の温まる「釜揚げ」で新蕎麦を食べた。
「釜揚げそば」は、出雲を去る神々を見送る儀式「神去出祭(からさでさい)」にちなんで、「神去出そば」また「お忌みそば」と呼称されることもある。

松平治郷はこの地域の産業・文化を振興した名藩主として「不昧公(ふまいこう)」と呼ばれ親しまれているが、当時「高貴な人はそばを食べない」とされていたにも拘らず、不昧公はお忍びで夜に屋台の蕎麦(いわゆる夜鷹そば)を食べに行くほどの蕎麦好きでこだわりの食べ方を語っており、茶人としても茶懐石に蕎麦を取り入れその地位向上に一役買っている。

出雲そばの中では三段の丸い漆器にそばを盛って出す割子(わりご)そばがもっとも有名な形であるが、これは江戸時代に松江の趣味人たちがそばを野外で食べるために弁当箱として用いられた形式が基となっている。
出雲地方では昔から重箱のことを割子(割盒とも)と呼んでおり、当時の割子は正方形や長方形、ひし形などさまざまな形であったが、明治40年頃に当時の松江警察署長の発議によりヒノキを用いた底の厚みのある丸形の漆器に変わった(警察署長の発議は、割子が四角形であると四隅が洗いにくく、衛生的見地から問題があると見たからと言われている。なお、当時の食品衛生は警察の管轄であった)。

松江市には玄丹そば(げんたんそば)と呼ばれるそばがあるが、これは1997年(平成9年)より減反によって休耕していた松江市郊外の田(減反田[1])を用いて育てられたそばで、基本的には出雲そばから派生したものである。
名前は江戸時代の末期に松江藩を救った玄丹(げんたん)お加代という女性にあやかってつけられた。



     P1070037_convert_20120920175830.jpg


     P1070041_convert_20120920180006.jpg


     P1070034_convert_20120920175527.jpg


     P1070035_convert_20120920175750.jpg


     P1070044_convert_20120920180041.jpg



関連記事

テーマ : ブログ日記 - ジャンル : ブログ

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

QRコード作成
写真・画像のWEB加工