教えられても気付かず

2010年12月27日・12月28日・2011年1月4日・2012年1月5日と4回にわたって書いたブログの表題「恩師からの便り」を読み返してみた。

懐かしさとともに、若き日に教壇に立っておられたころの先生のことを思い出した。
お子さんがいなかった先生は、教え子をわが子のように思って接してくださっていた。
そのことが、当時、幼かった、たぬきの心の中にもはっきりとした記憶として残っている。

今から20数年前のことだったが、同級生有志の発案で先生を囲んでの同窓会があった。
それまで先生とは疎遠だった、たぬきだったのだが、同窓会を機に先生に年賀状を送るようになった。

それ以降、たぬきがどこに住んでいようと毎年欠かさず、先生からの年賀状が届いた。
毎年の年賀状には、浄土真宗のことや親鸞聖人のことが、はがきの裏面にきれいな字でびっしりと書き込んであった。
このころのたぬきは、先生が懸命にしたためてくださった文章にもそれほどの興味も示さず、熱心な仏教徒のおひとりなのだと感じている程度だった。

時を経て、仏教(浄土真宗)を学ぶというご縁をいただき、先生の託された思いが、今になってやっと感じることができる。
過去を振り返ると、先生には、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。
みなさんは、なんともバカなたぬきだと思われるだろう。

少しでも先生の気持ちを大切にしながら、学んでいきたいと思う。



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住職ノート
涼しくなって、夜は大布団がほしくなってきました。
でも外は木犀の香りがプーンと漂い、田んぼのみのりを表す匂いがする一番いい季節です。                                      
今日は西宗寺の常例法座でした。
「信心よろこぶ そのひとを 如来とひとしと ときたもう」のテーマでした。
この地方に限らず人によって、「叶わぬ時の神頼み」つまり自分のいきずまるたびにすがることが信心と思っている人があるようですね。
一時しのぎ、それが宗教の姿、信心と言うことでしょうか、を考えたことです。
一緒に考えて間違いのない、恐れることのない確かな人生を歩みたいものです。

ところで今月後半の掲示は、「喜寿、米寿、白寿 なんのその 我は無量寿 南無阿弥陀仏」としました。
限りない「いのち」にしっかりと味わった人生を歩んでいきたいものです。



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