交わり(その2)

昨日は、「刎頸の交わり」を書いた。
今日は、それと同じような言葉を紹介しよう。
「水魚の交わり」について

水魚の交わり(すいぎょのまじわり)は、水がなければ魚は生きていけない、必要不可欠な友の存在の喩え。

中: 如魚得水。

三顧の礼で諸葛亮を迎えた劉備と、諸葛亮の交わりのさま(関係のありよう)を評して言われたもの。
劉備が「私が孔明を得たのは、魚が水を得たようなものである」と語ったことから転じて水魚の交わりというようになった。

『三国志演義』の中の有名なエピソードであるが、元々の出典は『蜀志』「諸葛亮伝」にある。
横山光輝版三国志では張飛が二人の水魚の交わりに嫉妬していたため、曹操軍に攻め込まれた際に劉備に「大変な野火ですな、水でも差し向けたらいかがです。」と皮肉で返している。

日本では、徳川家康と本多正信との関係が「水魚の如し」として名高い。
          Byウィキペディア


人は、色々な繋がりによって生活している。
そんな中で、心から信頼できる友達がいるか、いないかで、人生は大きく変わるのだろう。

心を通わせることができる友達に会うことも、人生の大きな意義かもしれない。



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