タイ・上海(その11)

象乗り体験をした後、本来の目的であったアユタヤ遺跡を訪れた。
かって、ビルマ軍によって破壊された寺院の跡やそこに並ぶ首の無い石仏の数々。


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破壊された石仏の頭部は、ビルマ軍が自国へ持ち帰ったという。
詳細は、ウィキペディアを引用させてもらう。

アユタヤ歴史公園(アユタヤれきしこうえん)は、タイ、アユタヤにあるアユタヤ王朝の遺跡群。周辺の遺跡とともにユネスコの世界遺産に古都アユタヤの名前で登録されている。
アユタヤー遺跡群は、チャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中している。これは、敵からの防御を考えて中心部の回りに運河を掘ったことによるものである。
ワット・プラシーサンペット、ワット・ローカヤスターラームなどの寺院跡、王宮跡が残る。

この遺跡を作ったのは1351年 - 1767年に存在したアユタヤ王朝である。この王朝はナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。
中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。
この貿易に適した地で、王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、この莫大な利益を元に数々の寺院(ワット)を作り出した。
しかし、1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した。
同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなった。
世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、このためである。


いくら戦争とはいえ、余りにも惨すぎるというのが、たぬきの偽らざる気持ちだった。


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たぬきは、この惨状とも思える破壊された仏像に手を合わせた時、思わず熱いものが込み上げてきた。



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