人として

人はそれぞれ自分にないものを沢山持っているという。

そうだからこそ、多くの人と親しく接することが大事だろう。
そうしたことが、人生で大いに役に立つ。

人として接することによって、初めて自分の長所や短所に気付く。
それと同じように、相手の長所や短所も分かる。
そういうことを自分としてどう生かしていくか。
それが、成長するための鍵のようだ。

自分という人間を知った上で、常に善意を持って人に接することが大事なようだ。


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住職ノート
5月に入りました。
先日雲南市の山間地のお寺に永代経の法座にお参りしました。
凹凸のある様々な新緑の若葉・青葉にしばし車を止め見いったことです。
世の人々はゴールデンウィークと称して野に山に、はたまた外国へと飛び跳ねる中で、じっくりと聞法される皆さんに感心しました。
地域の困難な中で、子ども会など取り組んでいらっしゃる姿に反省させられました。

今月の標語は
   「人間は闇の自覚なしに 光の自覚があろうはずがない」
としました。
高光大船師の言葉のようです。
闇とはなんでありましょう。
私の姿を見つめてみたいものです。
映し出す鏡はなんでしょう。
おどろおどろしながら闇をみつめ・・・・。

今日来た本願寺新報にご門主が 仏法学ぶことで 私の姿を知らされると示されていました。
仏法を学ぶことは、仏さまから隔たったわたしのすがたをしらされることであり、だからこそ、仏になるという指針、目標をもつのです、とも。

そんな中に、「ご院家さん、葬儀があった家庭は、近所の会合、親戚の見舞いに行ってはいけないのですか、葬儀の花をくばったらいけないですか」との電話。
さて皆さんどう答えますか。
闇は外にあるのでしょうか。
たたりはどんなものでしょうか。
本当に畏れなければならないものに気付かず、不安におののく姿。
考えたいものです。



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