親睦の旅(その4)

早朝に目覚めた、たぬきは宿泊先付近の散策。
隠岐は、どこに行っても自然豊かだと感じる。

その朝撮った写真を掲載しよう。


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下の左の写真は、島後水道の向こうに浮かぶ、島前の中ノ島(海士町)だ。
ここ、隠岐の島町都万は、島前に一番近い場所にある。

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漁をして帰ってきた漁師のおじいさん。

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網にかかった魚を外していた。
魚種は、アジ、メバル、タイなど大量だったようだ。


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周囲を海に囲まれた隠岐諸島。
一緒に行った門徒さんたちも、大いに旅情をかきたてられたようだ。

さて、今から島後(どうご)の観光だ。

     隠岐諸島


隠岐諸島(おきしょとう)は、島根半島の北方約50kmにある諸島。
隠岐群島(おきぐんとう)、隠岐島(おきのしま)とも呼ばれる。
現在は島根県隠岐郡に所属。
かつては隠岐諸島を中心とする令制国である隠岐国が存在した。
山陰地方では今でも隠岐諸島を指して隠岐国(おきのくに)と呼ぶ場合がある。

当諸島は、島前(どうぜん)と島後(どうご)に分かれている

隠岐諸島は島根半島の北、本土から隠岐海峡を隔てた北緯36度付近に位置する。
隠岐諸島は島後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる。
島前は「島前三島」と呼ばれる知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)から構成される群島であるのに対し、島後は島前三島から島後水道を隔てた島後島(隠岐の島町)の一島から構成される。
主な島はこの4島であるが、付属の小島は約180を数える。
島後島は約242km2で、日本では徳之島に次いで大きく、15番目の面積を持つ。

この四島には縄文早期や前期に、既に人々が住みつき、本土と活発な交流があった跡が石器や土器に現れている。
古代には隠岐諸島をもって隠岐国が置かれていた。
古くから遠流の島として知られ、小野篁、伴健岑、藤原千晴、平致頼、源義親、板垣兼信、佐々木広綱、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、飛鳥井雅賢などが流された。

中世には国府尾城(甲尾城)の隠岐氏が隠岐守護代として隠岐を支配した。
隠岐守護は出雲の京極氏や尼子氏が兼ねたが、本人が渡海することはなかった。

近世は初め出雲の中村氏や京極氏の分国であったが、のちに幕府天領となった。天領の統治は出雲の松平氏が任された。
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