大阪へ(2013.07)~その3

大阪へは何回も来ているたぬきなのだが、御堂筋の由来も全く知らなかった。
普段、偉そうなことばかり書いているのにと批判されそうだ。

だから、北御堂が浄土真宗本願寺派の「津村別院」ということも知らなかったのだ。
先日、住職から「折角、大阪に行くのなら津村別院へお参りしてはどうか」と言われ、今回お参りする切っ掛けになったのだ。

御堂筋(みどうすじ)は、大阪府大阪市の中心部を南北に縦断する国道。現代の大阪市における南北幹線の基軸である。

名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来する。

全長4,027メートル、幅43.6メートル、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつ。
交通量が増加したため1970年、大阪万博の開催を機に国道1号・国道2号と交差する梅田新道交差点より南の全車線が南行きの一方通行となる。
平日の昼12時間の交通量は、自動車28,000-38,000台、歩行者10,000-26,000人となっている。

記録上、御堂筋の名が初めて現れるのは1615年(元和元年)、大坂夏の陣の落人狩りなどを記録した徳島藩の「大坂濫妨人落人改之帳」の中で、捕らえられた男女のうち、男1人の居場所として「大坂御堂筋」と記されているのが最初である。
松尾芭蕉の没地は現在の大阪市中央区久太郎町4丁目付近で、御堂筋拡幅により現在は御堂筋の車線上にある。

江戸時代以来御堂筋と呼ばれていた区間は、船場の淡路町 - 博労町間においてのみで、同区間以北では淀屋橋(土佐堀川)を渡って中之島へ出る道であることから「淀屋橋筋」と呼ばれていた。
現在のように一本道ではないが大江橋(堂島川)と蜆橋(曾根崎川)を渡って曾根崎新地へ出ることもできた。
しかし、同区間以南では順慶町通など東西方向の通が主体となり、名称らしい名称すらなく、長堀川には架橋されず末吉橋通で完結していた。
また、淡路町通との交差点では屈折も見られ、道幅は3間ほどしかなく、堺筋・難波橋筋・心斎橋筋などと比べて見劣りのする、人通りの少ない道であった。
          Byウィキペディア


たぬきたちは、北御堂と呼ばれる「津村別院」を訪れた。
本堂は、現在修復中で、大きな伽藍の全体像は、残念ながらしっかりと臨むことができなかった。

     P1110070.jpg     P1110072.jpg

     P1110073.jpg     P1110074.jpg

それでも大きな伽藍にその歴史を感じる。
今年は、親鸞聖人の750回大遠忌が、ここ津村別院で執り行われるとのこと。
できることなら、そのころまた、お参りをさせていただきたいと思った、たぬきじゃった。



関連記事

テーマ : ブログ日記 - ジャンル : ブログ

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

QRコード作成
写真・画像のWEB加工