出雲阿国(いずものおくに)

今日、久しぶりに出雲市大社町へ行ってきた。
大社町といえば、「出雲大社」で有名なところ。

大社へ行った理由は、また書くとして・・・

ぶらぶらと出雲大社の参道「神門通り」を歩いていると、京都市東山区でも見たことのある「出雲阿国」の銅像が建っていた。
しかも、京都の阿国像とそっくり。

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さすがのたぬきも驚いた。

出雲阿国は、出雲大社で巫女をしていたといわれ、しかも歌舞伎の創始者ともいわれている。

出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)は、安土桃山時代の女性芸能者で、「ややこ踊り」を基にしてかぶき踊りを創始した事で知られる。
このかぶき踊りが様々な変遷を得て、現在の歌舞伎が出来上がっている。

伝承によれば、出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘といい、出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回したところ評判となったといわれている。

慶長5年(1600年)年に「クニ」なる人物が「ヤヤコ跳」を踊ったという記録(時慶卿記)があり、この「クニ」が3年後の慶長8年(1603年)に「かぶき踊」を始めたと考えられている。

「当代記」によれば京で人気を得て伏見城に参上して度々踊ることがあったという。

慶長8年5月6日に女院御所で踊ったという記録があり、文献によって踊ったものの名称が「ヤヤコ跳」、「ややこおとり」、「かふきおとり」と異なっている。
この事と記述の内容から考えて、慶長8年5月からあまり遡らない時期にかぶき踊というあらたな名称が定着したのだと考えられている。
内容面でもかわいらしい少女の小歌踊と考えるややこ踊から、傾き者が茶屋の女と戯れる場面を含むようなものに質的に変化した。

なおお国がかぶき踊りを創始するに際して「念仏踊り」を取り入れたとする記述が一般向けの解説書や高校生向けの資料集などに書かれている事があるが、これは俗説の域を出ず、ややこ踊の一座やお国が念仏踊りを踊った可能性は低い。

その後「かぶき踊」は遊女屋で取り入れられ(遊女歌舞伎)、当時各地の城下町に遊里が作られていた事もあり、わずか10年あまりで全国に広まったが、のちに幕府により禁止される。
もともとお国が演じていたものも前述のように茶屋遊びを描いたエロティックなものであり、お国自身が遊女的な側面を持っていた可能性も否定できない。
従来の説では寛永6年(1629年)に女性の芸能者が舞台に立つ事を禁止したとされるが、近年では十年あまりの歳月をかけて徐々に規制を強めていったと考えられている。
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