石見銀山~その3

今日は、石見銀山のある大森町のお寺を紹介しよう。

大森の町を散策していた、たぬきは、通りから少し西側に入ったところに大きなお寺があるのに気付いた。

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川沿いにあるお寺だが、何宗だろうか?
そう思いながら山門に近づくと「浄土真宗本願寺派 西性寺」と書いてある。
「たぬきと同じ宗派のお寺さんだ。お参りして帰ろう」
境内に入ると大きな本堂や経蔵などがある。

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本堂の梁には、立派な彫刻がある。

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これらの彫刻が何か?と聞かれてもたぬきには説明ができない。
しかし、立派な彫り物だ。

一方、経蔵の壁には、立派な鏝(こて)絵がある。
鏝というのは、左官さんが、壁を塗るときに使う道具のことだ。

境内にあった説明をそのまま書いてみることにしよう。

西性寺は、もとは照善坊という天台宗寺院でしたが、寛正年間(1460~1466年)に浄土真宗に改宗しました。

大永4年(1524年)に「西性寺」と号し、後に本願寺が織田信長勢と戦った「石山合戦」にも門徒を率いて参加しました。

現在の本堂は弘化2年(1845年)に再建されたもので、門と経蔵、庫裏を備えた大森町では最大規模の寺院です。

経蔵の壁の四面全てには、鳳凰や菊、牡丹などの鏝絵が描かれています。鏝絵は、左官が土壁塗りの技術を用いて漆喰で造る浮き彫り(レリーフ)のことで、動物や植物、昔話の一説や縁起のよい物が題材とされています。

この経蔵の鏝絵は、左官の神様とも呼ばれた大田市仁摩町馬路出身の松浦栄吉(1858~1927)の代表的な作品のひとつです。

この一帯には石州左官と呼ばれる腕のたつ職人が多く、その技術を生かした鏝絵が、明治に入ってから盛んに製作されるようになりました。今でも石見地方の寺院や民家に多くの作品が残されています。
          

この地方には、立派な伝統芸術が残されていると改めて感じた、たぬきじゃった。


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