日暮の中に

毎日が過ぎていく中で、その日暮をしているのが、たぬきの日常ではないだろうか?

ここに書いた「その日暮」とは、生活苦のその日暮ではない。
自分の気持ちの上で、心が貧しく、その日暮をしているのではないかと思う。
以前は、もっと前向きだったのに、なぜだろう。
そんな思いが、心を過る(よぎる)。

もっと、前を向いて進むことが必要だ。
後ろを向いても何もない。
過去は、決して戻らない。
そうであるなら、未来を見つめて生きていくしかない。

明日は、お寺の常例法座。
 「人生そのものの問い」
が、テーマ。
しっかりと、考えてみたいものだのう。

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住職ノート
2月は28日しかないと言うのに、早や15日も過ぎました。
年1回の総会に沢山の門信徒の方々が参加されうれしいことでした。
欠席の方々には早速郵送しなければなりません。
しかし、資料の作成印刷まで門徒の方の手でやって下さることに感謝をせずにおれません。
有り難いことです。

13日~14日は中国地方の本願寺派の宗教教誨師会の研修会が岡山刑務所でありました。
様々な理由から刑務所・少年院に収容された人たちが社会復帰する一助をしているのがその役目です。
明治時代からいち早くその体制を形成したのが浄土真宗であったようです。
その為か全国の施設の教誨師の数は圧倒的に多く、また先進的に活動をされています。
入所している人々に会うたびに、人生そのものの問いかけを私自身にされているようです。

今月後半の標語は、
人間とは 自分のことは 自分で 始末をつけられない 別名である
としました。
皆さんはいかがお考えですか。生老病死をとってもいかがでしょう。
共々に見つめていきましょう。


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