常例法座(2014.04.16)

今日は、4月の常例法座。

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境内の桜は、既に葉桜になっている。
今年の桜はさぞ綺麗だったろうなあ。
残念ながら、たぬきは咲き乱れる境内の桜を見ることができなかった。

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常例法座には、平日だというのに多くの方がお参りをされていた。
本当にありがたいことだと思う。

さて、今日の常例法座は、
〇「拝読 浄土真宗のみ教え」から
  浄土真宗の救いのよろこびの唱和
〇おつとめは、
  しんじんのうた(正信偈の意訳)
〇浄土真宗の生活信条の唱和
〇住職の法話は、
 「拝読 浄土真宗のみ教え」から
  親鸞聖人のことば「凡夫」
だった。

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法話は、
4月8日は花まつり。この日はお釈迦様の誕生日で昔は象を引いたり、お寺の門前に甘茶を用意して釈尊の像に甘茶を掛けてお祝いをすることがあった。
釈尊は、八万四千の教えを説かれたといわれる。
この教えの中から七高僧の方々が、選択して教えを伝えてくださった。
そして、親鸞聖人は「凡夫」ということにスポットを当てられた。
「拝読 浄土真宗のみ教え」の中に書かれてある親鸞聖人のことば「凡夫」に、次のように書いてある。

親鸞聖人は仰せになる。

凡夫といふ(う)は 無明煩悩われらが身にみちみちて 欲もおほ(お)く いかり はらだち そねみ ねたむこころおほ(お)くひまなくして 臨終の一念にいたるまで とどまらず きえず たえず

凡夫は、命終わるその瞬間まで、煩悩から離れられないものを言う。すべてのことを私(わたくし)中心にみて争いをおこし、欲望・怒り・妬み(ねたみ)に、心と身体を悩ませ苦しみ続ける。
仏法に出あうとき、煩悩にみちみちている凡夫は、他の誰のことでもなく、この私のことと気づかされる。念仏申すひぐらしの中に、ありのままの私の姿を見せていただく。


皆さんは、「悪い事と知りつつ、悪いことをする」のと「知らず知らずに悪いことをしている」のと、どちらが悪いと思われるだろうか。
前者は、悪いと分かっているのだから、そのうち後悔や反省をするだろうが、後者は、悪いという意識もないのだから反省や後悔もない。そこに恐ろしさがある。
人は知らないうちに人を傷つけてしまうこともある。分かっているよりも根深いものである。
親鸞聖人が、「罪深い凡夫だ」と言われたのがそこにある。

最近の家の造りからこんなことはないのだが、昔の家には雨戸があり、木でできた雨戸だから節穴があった。
朝の日差しがその穴から差し込んでくると、家の中の埃が舞い上がるのが見えたものだ。ところが、このような光が射しこんでこなければ、埃の中で生活していることも分からない。
このように、見えないものが見えてくるのは、仏法に出あった時に、多くの罪を犯しつつある私に気付かされることと同じだ。

他に
〇五木寛之氏の小説「親鸞」
〇人の命がリセットされるゲームの世界
〇広島県の江田島の先代住職の言葉
〇熊谷次郎直実の言葉
などを例に、「縁によってしか生きられない」ことや「人の命が命によって支えられている」ことなどについて、分かりやすくお話をされた。

その後は、恒例の茶話会。
最後に恩徳讃を斉唱して閉会となった。


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