命の儚さ

今日、また訃報に接した。
こういう言い方がいいのか?
本当は、ご往生に接したと、言った方がいいのだろうが・・・

人生は、長いようで短い。
たぬきは、以前、人の死について勉強したことがある。
何故、人は死ぬのか?ということ.。

人の死には、どんな死に方をしても、その死に至った時の「傷病名」がつけられる。
その時に、色々な先生に「死とは何なのか」を教えてもらった。

生を受けたものは、いずれ死を迎えるという必然。
それは、誰にもわかるのだが、自分自身には直接結びつかない。

しかし、考えてみれば、今は元気かもしれないが、明日の朝、息をしていないかもしれない。
そういったことが現実に起こるのは、偶然ではなく、必然だということ。

いくら明日があると思っていてもそうでないこともあるだろう。
それが、人生の儚さかもしれない。
生かされている今を懸命に生きることが、今を生きていることにつながるのだろう。

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住職ノート
5月も中旬になりました。
緑の中を、朝早くから色々な小鳥の声がします。
夜になると水を張られた田んぼからカエルの合唱が聞こえてきます。
田舎っていいなあ。

明日は常例法座。
色々な教えがある中で私にとって「真実の教えとは」考えてみたいと思っています。

今月後半の標語は、
   「はだかにて 生まれてきたに 何不足」
一茶の句にしました。
足るを知らないのを不足。
満ちるを知らないのを不満。
平なるを知らないのを不平。
この3つは貧欲、瞋恚、愚痴の煩悩そのものですね。
私の心や姿をさらけ出されているようです。



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