追憶(No.2)

昨日書いたブログの続きを書くとしようか。
たぬきが、フィリピンを訪れたのは平成元年のことだった。
このころは、フィリピンから多くの若い女性が日本に働きに来ていた。
その女性たちは、深夜飲食店や風俗の店で働き、フィリピンの家族に仕送りをし、その仕送りによって親兄弟や多くの親戚縁者までが、生計を立てていた。
日本に働きに来ていた彼女たちは、「ジャパゆきさん」とも呼ばれ、社会問題にもなっていた。

ジャパゆきさんとは、1970年代後半から急激に増えた、日本に出稼ぎに来る東南アジア人女性のことを指して呼んだ語である。
この言葉は1983年に流行語になった。

こうした人たちが増えた背景として、日本の経済が伸び、世界的な経済格差が大きくなったことがあげられる。
日本で半年も働けば国へ帰って家が建てられると言った話が広がり、日本で働くことにあこがれや夢を抱く女性が増えた。

日本の水商売にエンターティナーとして女性達を連れて来るプロモータービジネスが、利益の高い商売であったことと合致し、当初はフィリピン、後に東南アジア各国の女性をタレントとして来日させるようになった。

当時はまだ外国人女性がめずらしいこともあり、とまどいと好奇程度であったが、80年代前後から急激に増えた事で多くの問題が出てきた。
風俗への流出、不法滞在、売春強要、タコ部屋労働、給与不支払い、暴力団介在などで悲惨な状況に追い込まれた女性も多くある。

こうした被害女性は不法滞在が多く被害を警察に訴えられないため、潜在的には相当の数に上ったと見られ、こうした人たちの人権を守るため1980年代以降、多くのボランティア団体が人権保護のために活動している。
          Byウィキペディア

彼女たちは、海外に出国して働こうとするとフィリピンの「NBI」という国家調査局へ行き、無犯罪証明をもらう必要がある。
たぬきが、NBIを訪れた時にも多くの人たちが長蛇の列をなしていたのが印象的だった。

貧富の差が大きいこの国では、一握りの富裕層がいるだけで、その他の国民はほとんどが貧しかった。
郊外へでると家とは言えないような小屋が並んでいる。
聞くとトイレも風呂もないとのことだった。

また、驚いたのは、「スモーキーマウンテン」と呼ばれるごみの山。
廃棄物の処理のため、ごみ捨て場が大きな山となっている。
そのごみが、自然発火していつも煙をだしている。
それが、「スモーキーマウンテン」という名前の由来だ。
そして、このごみの中で生活をしている人たちがいたのには、さすがのたぬきも驚いた。

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今はどうなっているか知る由もないが、当時のたぬきは大きな衝撃を受けた。

スモーキー・マウンテン(英語: Smokey Mountain)とは、フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のことである。
名称の由来は、自然発火したごみの山から燻る煙が昇るさまから名付けられた。

かつては海岸線に面した一漁村であったが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になった。
それ以来からマニラ市内(マニラ首都圏)で出たごみが大量に運び込まれ、ゴミの中から廃品回収を行い僅かな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着き、急速にスラム化した。

1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。
政府は、国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断。
住民は、公共住宅をあてがわれ強制退去させられたが、一部の住民はスモーキー・バレーをはじめとする別の処分場周辺に移り住み、従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けている。
          Byウィキペディア


こんなことを書いているが、たぬきはフィリピンを決して嫌いな国とは思っていない。
町で接した彼らは、南国特有の明るさがあり、貧困生活の中でも一所懸命に生きていた。

その後、どうなったのだろうか?
もう一度、この国を訪れてみたいものだ。


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