台湾へ(その18)

赤嵌楼へ向かった、たぬきは赤嵌楼の前の道路で前に進むことができなかった。

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このようにパトカーが止まっている。
また、通りからは賑やかな民俗音楽も聞こえる。

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そのうち、目の前を人々の行列が進んでいく。

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どうやら、この地域の祭りの行列に遭遇したようだ。
暫く、行列の通り過ぎるのを待ったが、爆竹の大きな音におっかなびっくり。
本場の爆竹の音に、異国へやってきたという感慨も深くなる。

さて、お目当ての「赤嵌楼」だが、中へ入る前に少しこの建物について勉強しておこう。

赤崁楼(せきかんろう)は別名を赤嵌楼、紅毛楼 とも称し、台湾台南市中西区に位置する、オランダ人によって築城された旧跡である。
原名は「プロヴィンティア」(Provintia、普羅民遮城)と称し、1653年にオランダ人と漢人の衝突事件である郭懐一事件」(1652年)の後に築城された。
鄭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となった。
現在は中華民国内政部により国家一級古蹟に指定されている。

台南市は台湾本島の中で最も早くから漢人により開発が行なわれた地方である。
早期の台南市西部は遠浅の海が広がり「台江内海」と呼ばれていた。
内海西側には沙洲が広がり、その中の現在の安平一帯に相当する地域には、西拉雅平埔族台湾社が居住していた。
台江東岸は平原が広がり、平埔族赤崁社の居住地となっていた。
明代の地図にや文献では台江西、東岸為をそれぞれ「台員」、「赤崁」と称している。

漢人移民の記録は明代中期に遡ることができる。
当時この海域一帯を跋扈していた倭寇は台南を拠点に活動していり、大陸東南沿海及び台湾原住民がその被害を受けていた。
この状況に対し明は討伐軍を派遣した。
これにより漢人と原住民間の交流が発生し、漢人移民が台湾に押し寄せることとなり、この地区一帯に次第に集落を形成するようになった。
          Byウィキペディア


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