待つ長さ 過ぎ去る速さ 生きる今(その2)

たぬきは、今週の日曜日から昨日まで東京に行っていて、ブログを書くことができなかった。
その間、待っていていただいた読者の方がおられたかもしれないのに・・・
そう思うと申し訳ない気持ちがする。
その東京の話はさておき、前回に続いて住職の投稿文を紹介することとしよう。



この頃は、情報伝達の発達から社会の形の変化、それにともなって家庭生活、ものの見方、家庭の伝承が加速度的に変化し、忘れ去られ、見捨てられていくものが多いようです。
都市部に限らず、中山間地域でも核家族から孤家族、はたまた無縁社会と言われるものになってきているようです。
しかし、「生死の問題」「いのちの問題」になると時代の流れ、社会構造の変化と簡単にすますわけにはいきません。
人生の一日に対する感じ方、受け取り方も、その辺りに関係しているのかもしれません。
「老少不定の身」と聞かされながら、目先の事のみに追われて、案外「過ぎ去る速さ」に身をまかせているといっても過言ではありません。

御本山西本願寺も昨年二十四代即如門主から二十五代専如門主へと法統継承式が挙行されました。
記者会見で前門さまが「医療の世界ではかかりつけ医が重要視されていますが、仏教ではお寺がご門徒をはじめ、その地域の精神的な意味のかかりつけ医のような、頼りになる場所として役割が果たされれば素晴らしいと思います。」と語られています。

また、専如ご門主が、人間の欲望が増大する現代社会を指摘されながら「さまざまな悲しみや悩みを抱える方に寄り添って、いのちの問題の大切さ」を述べていらっしゃいます。

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住職ノート
1月は行ってしまいました。
2月も逃げていきます。
2月15日はお釈迦様の涅槃に入られた日です。
改めてお釈迦様のご一生を考えてみたいものです。

話はちょっと飛びますが、私は本当に靴、スーツを買ったことが何十年ありません。
自慢にもなりませんが、体形が変わらないのか、こだわりがないのか、不作法なのか。

今月後半の掲示は
 「靴の底 すりへって 傷だらけになって 私の歩みを支えてい る」
としました。

先日そろそろ靴を履き替えたらと、坊守にいわれました。
そういえば何年この靴を愛 用してきたことでしょう。
ふとこの言葉を思い出しました。

「おかげさま」という言葉の「かげ」とは自分を支えている『恩恵』のことでしょう。
それはなかなか見えにくい部分です。
それどころか、知らず知らずのうちにその「かげ」の人々を傷つけ、踏み台にしてはいないでしょうか。

捨てがたい靴、そろそろ履き替えようかな。
「かげ」の部分に目を向けてみましょうか。


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