待つ長さ 過ぎ去る速さ 生きる今(その3~最終回)

さて、住職の投稿文は本日で最終回としたい。
通して読みたい方は、前回、前々回のブログを参照していただきたい。
それでは、住職どうぞ・・・



中国の善導大師のお言葉の中に「人間は毎日あくせくと生きているが、いのちの日夜に去ることを知らない。しかも自分のいのちが、いつ風に消されるかも知れぬ灯のようなものだと気づいていない。ただ、うろうろと六道を輪廻し自分の行くべき方向は何もわかっていない」とあります。
考えてみると私達は自分が迷っていることさえ気がついていないようです。
迷いを迷いとも気づかず、自分だけの世界にとじこもって一歩も外に出ようとしない私、親鸞聖人は、そんな自分を「愚禿」とおっしゃいました。
それは偏に如来様のご本願によって明らかにされた世界でありました。
「極重悪人唯称佛 我亦在彼摂取中」(罪の人々み名をよべ、われもひかりのうちにあり)とお示しいただいています。
そのやるせない願いを聞かせていただくことこそ浄土真宗だと教えてくださいました。
「過ぎ去っていく速さ」の中に「生きる今」「生きている私」です。
新たな始まりの「年の初め」にしみじみと、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏申させていただきましょう。



読者の皆さんは、どう思われただろうか。
じっくりと読み返していただいて、自分なりに咀嚼していただければと思う。
たぬきは、決して自分の思いを押し付けようとは思っていない。
だから、気楽に読んでほしい。

        P1100663_20150219213300e72.jpg


関連記事

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

QRコード作成
写真・画像のWEB加工