紫雲丸事故から60年

昨日、紫雲丸の事故から60年の追悼式が、松江市立川津小学校で行われた。
この追悼法要には、住職が勤修されているので、まずはその住職ノートを掲載しよう。



住職ノート
5月10日、町内にあり、私の母校でもある川津小学校にて60年前の全国を震撼させた紫雲丸遭難60周年追悼法要並びに記念式典が開催されました。

川津で生まれ、育てられた私のこと、実行委員の方より依頼され、地区内他寺のお助けをいただいて法要を勤修しました。

昭和30年5月11日午前6時56分香川県高松港沖にて国鉄宇高連絡船「紫雲丸」と貨物連 絡船「第三宇高丸」とが衝突し、紫雲丸は沈没し168名尊い犠牲者が出たのでした。

その犠牲者の中に当、川津小学校の児童、教師、保護者25名が含まれていました。
楽しい旅を終え家族の待つ家路につく前のことでした。

この事故の生存者(37名)は、つらい体験を共有しつつ、毎年のごとく墓前に参拝され今日まで来たことです。

昨年は韓国で同じように海難事故がありました。
改めて、海上交通の安全と命への教育を一層考えていかねばならないと感じたことです。

実は私たちは、その翌年、家に咲く花を携えて同じスケジュールで旅が決行されました。
幼心に波静かな瀬戸内の海が、恐ろしい海に見えたのは私だけだったでしょうか。

今、四国に渡るときは瀬戸大橋でいとも簡単に行くことができます。
60年前の大参事を忘れて・・・・。

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紫雲丸事故(しうんまるじこ)は、日本国有鉄道(国鉄)の宇高連絡船紫雲丸が1947年(昭和22年)6月9日の就航から、わずか9年間に5度にわたって起こした事故の総称である。
なお、そのうち2件は死亡者を発生させた。
また、その中でも最大の被害を出した1955年(昭和30年)5月11日の5回目の事故を指す場合が多い。

5度目の事故が社会に与えた影響は特に大きく、国鉄(→JR各社)による鉄道連絡船の安全基準が大幅に見直されたり、海上保安部による停船勧告基準が厳しくなるなどされ、またその後の瀬戸大橋建設の機運を一気に高めた。

1955年(昭和30年)5月11日午前6時56分、上り第8便で運航中、同じ宇高連絡船・下り153便大型貨車運航船「第三宇高丸」と衝突して沈没。
最大の被害を出した事故であり、国鉄戦後五大事故の1つでもある。
「紫雲丸事故」といった場合はこの事故を指すことが多い。
修学旅行中の広島県豊田郡木江町立南小学校(現・豊田郡大崎上島町立木江小学校)の児童などを中心に死者168名を出した。

この事故での犠牲者は168名に上り、うち児童生徒の犠牲者は100名を数えた。
犠牲者の内訳は次のとおりである。
紫雲丸関係者 2人(船長他1人)
一般乗客 58人
修学旅行関係者 108人 〔児童生徒100人(男子19、女子81) 引率教員5人 関係者(父母)3人〕
愛媛県三芳町立庄内小学校:30人(児童77人中29人、PTA会長1人)
高知県高知市立南海中学校:28人(3年生117人中28人)
広島県木江町立南小学校:25人(6年生97人中22人、引率教員3人)
島根県松江市立川津小学校:25人(6年生58人中21人、引率教員5人中2人、父母3人中2人)

特に児童生徒の犠牲者100名中、81名が女子であった。
現場では次々と児童生徒の遺体が搬出されたが、その様子はあまりにも凄惨で、搬出活動にあたった者の多くが、長らくその状況を語ることができないほどであった。
          Byウィキペディア 


国内外で悲惨な事故が発生しているが、その悲惨さは語りつくすことはできない。
このような事故を身近に感じる中で、もっと命について思いを致すべきなのではないだろうか。


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