豪雨災害に思う

北関東一帯での豪雨災害で被災された方々にお見舞いを申し上げます。

さて、たぬきはこのような豪雨災害を見るにつけ、昭和58年7月の島根県西部の災害を思い出す。
災害が発生したのは、昭和58年7月23日だった。
この日は、子供たちは夏休みに入っていた。

たぬきは、数日前から福岡県に出張しており、7月22日の夜、当時住んでいた浜田市へ帰ってきた。
数日前から島根県西部では、雨が降り続いており、JR山陰本線もバスの代替え輸送のところがあった。
当然のことながら、たぬきも特急列車からバスに乗り換えて、やっとJR浜田駅に到着した。
そして、やれやれと思いながら我が家に帰り、ひと時寛いだ。
ところが、帰ってから暫くすると大きな雨音がし、まさにバケツをひっくり返したような雨。
そんな状態がずっと続く。
これは、大変なことになるだろう。
そうは思うのだが、雨足を止めることはできない。

一夜明けると大変な惨状を見ることになった。

昭和58年7月豪雨(しょうわ58ねん7がつ ごうう)は、1983年(昭和58年)7月に発生した水害(豪雨災害)である。

この災害は、日本海側の広い範囲で降った梅雨の期間中に、島根県浜田市を中心とした中国地方西部で局地的な集中豪雨が発生した事により起こったものである。
最大1時間降水量は浜田市91.0mm、最大1日降水量は浜田市331.5mm。この地域の中小河川はほぼすべて大氾濫し、山崩れが起こった。

島根県西部で災害が発生した7月23日はその前年1982年(昭和57年)には長崎大水害が起こっており、2つの災害は日付および気候条件は同じで、発生した災害内容に類似点が多く見られた。

20日から始まった大雨は23日未明からピークとなり中国地方西部で豪雨災害が発生、特に浜田市・三隅町(現浜田市)・益田市と島根県西部で被害が集中した。
最大1時間降水量は浜田市23日0時40分から1時40分で91mm、益田市23日6時から7時で90mm。20日0時から23日24時までの4日期間降水量は日本海側ではなく中国山地沿いが多く、軒並み500mmを超えている。

島根県では、この豪雨の11年前である1972年昭和47年7月豪雨で県災害史上最大級の被害にあっているが、県西部に限れば、総降水量は昭和47年豪雨の方が多かったが1時間降水量はこの昭和58年豪雨の方が多かったこと、更に降水が集中したのが昭和47年豪雨では昼過ぎでこの昭和58年豪雨が夜から朝であったことから、県西部にとっては昭和58年豪雨が戦後最大規模の洪水災害となった。

この地は中国山地の北側にあり、そのほとんどが丘陵地で、日本海沿岸まで丘陵が迫っている。
そこへ江の川・高津川の一級河川や中小河川が山地率9割つまり狭い谷をぬって流れ、河口部は沖積平野を形成している。
こうした地形から、インフラストラクチャーの多大な被害によって分断され陸の孤島と化した場所が点在し、救護活動に海路をも頼ることになった。

特に顕著だったのが、豪雨域にあった敬川および三隅川・益田川・浜田川を含めた二級河川で、軒並み最高水位を更新し氾濫し、三隅町・益田市そして浜田市の市街地は深刻な浸水被害を引き起こした。
洪水調整のダムは、浜田ダムや発電目的の周布川ダム・長見ダムなどある程度機能していたものもあれば、木都賀ダム・嵯峨谷ダム・大峠ダム・笹倉ダムなどは貯水量の問題により機能しなかったものもある。
これらには想定外の降水量だったこと、また浜田ダムでは豪雨ピークが2度来たため洪水調整がうまく作用しなかったことなど、二級河川の洪水対策の難しさが浮き彫りとなった。

一方で一級河川は、江の川水系では本川下流つまり江津市付近と支川やその合流地点で氾濫し、高津川水系に至っては洪水はなかった。
つまり益田市の洪水は、高津川ではなく益田川によって起こったものである。

島根県内での死者・行方不明者の8割強である91人が土砂災害により犠牲になった。

この土砂災害の特徴は、その大部分が山崩れ・がけ崩れであり、土石流は全体的に少なくしかも山崩れに伴う2次的なものだったことである。
そして、山崩れが起きた場所は樹木伐採跡地やまだ樹木が未発達な若年生の林地に多く発生したことも挙げられる。
これは、昭和30年代に家庭用燃料が木材からプロパンガスに切り替わったため、山地森林に対する手入れが行われなくなり治山整備が不十分だったことを意味する。
また前述のとおり、この地においては昭和47年豪雨の時よりもこの昭和58年豪雨の方が強い集中豪雨であったため、先の豪雨で発生しなかった土砂災害がこの豪雨では発生してしまった。

死者10人以上をだした地点は、浜田市穂出町中場地区山崩れ、三隅町岡見須津地区がけ崩れ、三隅町室谷赤漬地区土石流。
          Byウィキペディア   


以上のとおり、甚大な被害をもたらした豪雨災害。
人々の自然を守ろうとすることが無くなったことも要因の一つのように思える。
自然との共存、環境破壊の防止は、絶対に必要なのだ。

引用が多くなってしまったが、この災害の記憶は、たぬきにとって忘れがたいものでもある。
何故かというと、当時、たぬきはこの豪雨災害で救援活動を行っていたからだ。
被災者の方々の気持ちなどが、痛いほどわかる。
たぬきにとっても辛く、苦しい災害救援活動であったように思う。

本当は、ここに当時の写真を掲載しようかとも思ったのだが、それは控えさせていただきたい。

自然の驚異を目の当たりにした、たぬきの忘れることのできない記憶の一端を紹介して、本日のブログを終わることとしたい。



関連記事

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

QRコード作成
写真・画像のWEB加工