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インド紀行(No.34)

ダメーク大塔と僧院跡のある敷地から、すぐ隣と思われるスリランカ寺院「ムーラガンダ・クティ寺院(初転法輪寺)」へ向かう。
この寺院に向かう途中にも歩道上には物乞いの子どもたちがいる。

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なんとも、やるせない気がする。
たぬきが、1人の子どもに何かをやるとすると、どうなるだろうか。
それを見ている者たちが、怒涛のごとくやって来るだろう。
そういう事態になるのなら、何もあげない方がいいという。

たぬきは、インドに来てからそんな葛藤にさいなまれていた。
どうすることもできない現実を目の前にして、何もしてやることができない。
物乞いが真実なのか、観光客目当てのパフォーマンスなのか?
そんなことも頭を過(よ)ぎる。
そのことは、インドを離れるまで分からないままだった。

そして、スリランカの寺院へ。

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ダメーク大塔の東、サールナート僧院跡から望むことができる尖塔形の建物がスリランカの大菩提会が建立したムーラガンダックティー寺です。
僧院跡でもご案内しましたように、寺院跡から出土した粘土板の線刻を元に建立された寺院です。
第一次世界大戦の前、仏教遺跡の荒廃を嘆いたスリランカのダルマパーラ氏は、仏教遺跡の保護と復興のために立ち上がりました。
この地が初転法輪の聖地であることから仏教寺院を建立し、日本政府も救いの手を差し伸べ、今日のように整備、保存される先駆けとなりました。

ムーラガンダックティー寺完成に際して、日本仏教会を通じて依頼を受けた日本画「野生司香雪画伯」は、単身この寺院を訪れ、約5年に亘って滞在しお釈迦様の生涯を描いた壁画を完成させました。
壁画の片隅には由緒が日本語、英語、ヒンズー語で書かれ、1936年の印が残されています。

また、寺院入り口には「於サルナス之寺 日本仏教聡合会 昭和7年」と刻まれた釣り鐘が下がっています。
          By トラベルサライ  



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そして、寺院敷地の東側には、初転法輪の像がある。

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初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指す。

具体的には、釈迦が菩提樹下で悟りを開いた後、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(旧訳 : 仙人堕処、新訳 : 仙人住処)地方の、鹿が多く住む林(旧訳 : 施鹿林」、新訳 : 鹿野苑」)の中で、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて教えを説いた出来事を指す。
当初は誰も耳を傾ける者がなく、鹿を相手に説いたとする経典もある。

以下、パーリ律蔵の『マハー・ワッガ』(和訳:『南伝大蔵経』第3巻)を主な資料として記す。

釈迦は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされる。
『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典には、沈黙を決した釈尊を索訶主梵天(brahmaa sahaMpati)が説得したという伝説(梵天勧請)が記されている。
梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいることを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)

釈迦がヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに無師独覚を話したが軽く受け流されている。
これは仏法を説いたことにはなっていない(ウパカは後、釈迦に帰依して出家した)。

当初、この元の5人の修行仲間は、修行を捨てた釈迦が遠くから来るのを見て軽蔑の念を抱き歓迎を拒むことを決めた。
しかし釈迦が徐々に近づくにつれ、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えた。
自らが阿羅漢であったことを表明した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法を為した。
このとき説かれた教えは四諦八正道であったとされるが、後代に編まれた経論、経解ほど中道、三十二相、三転十二行相など様々に脚色される。

5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。
また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。
伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。
釈迦による五比丘への教導は比丘が3人ずつ順に托鉢を行い6人が食する合宿式に続けられ、ワッパ、バッディヤ、マハーナーマン、アッサジの4名にも次々と法眼が生じた。
釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五比丘に五蘊無我の修習を指導した。
五人は阿羅漢果(四沙門果の第四)に達したとされる。

彼らは釈迦と共に初期仏教教団を創設し、インド各地で布教活動を行ったことから、「説法波羅奈」(せっぽうはらな)として釈迦の人生の4つの転機の1つに数えられている。
          By ウィキペディア  


つづきは、また次回・・・


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