運・鈍・根をもう一度

昨日は、「運・鈍・根」について、ある会社の社長さんの訓辞を書いた。
そのことに感銘していただいた方もいたようだ。

今夜は、この「運・鈍・根」について、一つずつ書いてみよう。

「運」
人生、運、不運はつきもの。
ただ単なる運任せはいただけないし、他方、努力が常に報われる訳ではないが、「人事を尽くして天命を待つ」の心境になれる努力というのは、常に必要だろう。
運に振り回されず、運と上手くつきあいたいものだ。

「鈍」
人間あまり鋭敏すぎるのも疎まれる。
相手の言動に過度に反応するのも人間関係をギクシャクさせる。
時には、受け流すことも、間をおいて対応することも必要。
また、才をひけらかすのもどうか。
才に走る、才に溺れるという言葉もある。
時には鈍に見せることも必要なのかも。
「能ある鷹は爪を隠す」ともいう。

「根」
根気、根性、仕事に耐えうる気力、粘っこい努力、こういうことは異論のないところ。
考えて見れば、大木もそれを支える大きな根が必要だ。
それと同じように、人もしっかりした基盤が在ってこそ大きく育つ。

「運・鈍・根」と簡単に言うが、このように奥の深いものだと思う。

さあ、ここからが本題だ。
いかに、こういった言葉がいいからとか、座右の銘だからといってもそれを咀嚼して、自分のものにしなければ何にもならない。

今一度、原点に返り、ゼロだと思ってスタートすれば何も怖いものは無い筈だ。
人間生まれて来る時も一人。
死ぬ時も一人。

人に迷惑をかけることなく、自分の背丈に見合った生き方をするのがいいのだろう。

徳川家康公遺訓にもあるように、

人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、                       
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。

己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。


だと思う。



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今日、帰宅途中に見た夕日。
宍道湖の夕日は、いつ見ても美しい。
このような環境の中で生活できるたぬきは、幸せ者だ。

生かされていることに感謝しようと・・・
そう思った、たぬきじゃった。




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コメント

No title

宍道湖の夕日、きれいですね!わたしはシジミ汁が大好きなので、本場のものをいただいてみたいです。
またブログ、見させてもらいますね♪

Re: No title

了解しました。
たぬきは、ご期待に添うべく頑張ります。
宍道湖のシジミは、全国シェアでも40数%を占めています。
そんなところで育ったシジミを是非食べてほしいと思います。

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