マンネリ脱却を・・・(その1)

電車に乗っていて、急ブレーキがかかると立っている人は、前のめりになってしまう。
これは「慣性の法則」といわれるものだ。

こういった法則は、人々の生活の中にも見受けられる。
それを「惰性に流される」と人間社会ではいうようだ。

毎日の暮らしは、たぬきであろうと、人間であろうと、そう大きな変化はない。
同じことの繰り返し、淡々と毎日を過ごしていく、そうしていると安逸な心や怠惰の心が首を持ち上げる。
そして、その中に浸ってしまうことが多い。

今の自分の状態が見えず、そこから抜け出すことも難しくなっていく。
そんなことをしていたら、充実感や物事に対する新鮮味も出てくるはずがない。
むしろ惰性が引き金となって、思わぬことをしでかしてしまう。

いつも歩いている道で、窪みに足をとられ怪我をしてしまう。
そんなことは絶対にありえない、と思っていてもそうなることは誰にでもあるだろう。

さあ、こんなマンネリをどうしたら脱却できるのだろうか?
この続きは、また明日・・・




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次は、恒例の住職ノートを載せておこう。



住職ノート

お彼岸前となりました。
日中はまだまだ残暑厳しいことですが、朝夕は虫の声が涼しさを伝えてくれます。
今月後半の門前の法語は「秋彼岸 いのちの流れの中にある私のいのち」と記しました。
この一点を見失う時、人は傲慢のとりこになってしまうようです。
そこからは、いのちの尊さを互いに認め合い、かけがえのない「命」を燃焼させる、といった世界は開かれてこないでしょう。

あるご年配の方が、若い方に、「よくお参りでした。お墓の石の下にお父さんはおられませんからね。仏法を聴くことがお彼岸のおつとめです」と・・・・。
このサラッとした言葉の中に仏法に生きている人の素晴らしさがあると思ったことです。

先月から今月にかけ僧侶研修会として「自死の家族にどう寄り添っていくか。」また「葬儀の意義」を話し合ったことです。
当たり前になっている自分ではないか、厳しく反省をしたことです。

今月は私を育ててくれた祖母の17回忌です。
人世ははかなきものよ あのひとも ゆうべに 死すとは朝おもわざりしも」とか「念願の仏事終えたる安らかさ 今宵のむ酒千金の味」等々残してくれた詩を改めてかみしめているところです。




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