光るものを見つける

ここ数日、たぬきの休日のことなどを書いてしまった。
少しは高尚なことをと思うのだが、なかなかそうもいかない・・・

それは、それとして、今日は、こんな詩を紹介してみようと思う。

「すべては光る」      詩人 坂村 真民

  光る

 光る

 すべては光る

 光らないものは

 ひとつとしてない

  みずから

  光らないものは

  他から

  光を受けて

  光る
 

真民は、この詩の最後の節が生命であって、選ばれた者だけが光るのではなく、光らないものでも光らせてくれるのだと言っている。
自ら光る太陽も偉大だが、太陽の光を受けて光を返し、私たちを守り照らす月に親近感と慈愛を感じると真民は言い、これを返照の光、返照の心、返照の世界と呼んでいる。

この詩の前段部分は、全ての人は何か光るものを持っているということを示している。
それは、自分では光らないと思っていても、何か光るものを必ず持っているということだ。

ある高名な美術家は
どんな人でも、他の人にはない良さを持って生まれてきている。
お互いに自分の中の宝石は自分しか磨けないが、それを磨いていくことが、人生の生きがいというものであろう。
自分の中の宝石が、ただの石ころだったとしても、その石ころをどこにもない美しい石に磨き上げることだ。
磨かぬダイヤモンドより、どれほど美しいことか。

と言っている。

これは、「すべては光る」と同じもの。

やっぱり、人生は自分を信じていくしかないのだろう。


坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は日本の仏教詩人。
熊本県荒尾市出身。本名昂(たかし)。

一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
熊本県立玉名中学校を経て、神宮皇學館卒業。愛媛県砥部町に「たんぽぽ堂」と称する居を構え、毎朝1時に起床、近くの重信川で未明の中祈りをささげるのが日課であった。
詩は解りやすい物が多く、小学生から財界人にまで愛された。
特に「念ずれば花ひらく」は多くの人に共感を呼び、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。




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     水燈路開催中の松江城の石段の照明



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